たましい。
2011年 12月 09日
ご無沙汰してます。
12月からは毎日ブログ書こうと思ってはや、
一週間経ってしまった。
なんかホント時間って足りないっすよね。
マジでマメにブログ更新しとる人尊敬。
今日はいっぱい書くから長くなるよ。
(殆ど自分に向けて書いてる)
最近は行きたいライブも行けず。
TAIYO33OSAKAに想いをはせています。
いろいろあった一年って
今年のこと言うんやな~って。
つくづく思ってしまいました。
3.11
この日から少なからず、
多くの人達のなかの
何かが揺さぶられたと思うし
何かが壊れたとも思う。
そして自分も。
報告めっちゃ遅くなりましたが。
9月末にOTO no MARCH(オトノマチ)
でのFOODの売上5822円と、
5/4のうずうずでの募金&龍宮ナイトの
物販の売り上げ6516円。
あと、なんやかんやで?
(なんか分からんけどwww)
全額27563円をJF全漁連の
がんばれ漁業募金に寄付しました。
みなさまのご協力ホントにホントに
ありがとうございました!!!
ご報告が大変遅くなってしまった事を
この場を借りてお詫び申し上げます。
なんだかんだで100年に一度レベルの地震が10年おき位に
発生しているのでなんだかな~と思っていたけど、
今回の東北の地震はやっぱり、「原発」ってとこが
大いに違うから、ただただいつもみたいに
「復興」すれば全てが終わるというわけにはいかない。
もともと日本は地震大国で大昔から大きな地震が
起こっているから、地震ですべてのものが無くなっても、
絶望せずまた立ちあがる力がDNAに組み込まれているらしい。
ホントかどうかは分からんけど、
確かに今回福島へ行ってみて
思っていたよりも福島の人達がとても元気で明るかった。
もしかしたらカラ元気なんかもしれんけど、
それでも「がんばらないかんけん」って感じを
感じ取ったよ。
オトノマチとかやったけど、正直被災地にも行かず
こんなことしてってもんもんしてて。
けど、一人でボランティア行くとか怖くてできんかった。
ずっともんもんしてたなかでのTAIYO33OSAKAでの福島行き。
(TAIYO33OSAKAの説明はまた後で)
正直行くの怖かったしめずらしく旦那さんにも反対された。
イベントをやるたびに、旦那さんに迷惑かけてきたけど、
絶対反対しなかった旦那さんだったので、
よっぽどなんだなと。
何回も家族会議。
旦那さんは昔から子供が欲しい派。
うちは結婚も子供も興味がなかった派。
けど、長い間共に生きてきて
色々あって結婚して。
今思う事は結婚はマジで楽しいってこと。
それはきっと相手が昇さんだからそう思えるんだろうけど。
出会って11年、結婚して丸5年か。
嘘のように旦那さんと過ごす毎日は楽しくてしょうがない。
きっとおじいちゃん、おばあちゃんになるまで
この楽しい日々が続くだろうと。
続いて欲しいと願っている。
そして未来を少しだけ想像した時、
9歳年上の旦那さんが死んだ時、
ひとりぽっちは嫌だなって思った。
あと、旦那さんの喜ぶ顔が見たいってのと。
自分も子供産める身体の限界に近付いてきたのと。
敬愛するECDが妻子もちだってのと。
色んな不純な動機で子供が欲しいと最近は常々思っている。
だからこそ、少しでも危険な場所には行きたくないし、
旦那さんが行かせたくないのも分かる。
それでも、自分で経験せずに対岸の火事みたいに思っているのは嫌だし、
このままの気持ちじゃ龍宮ナイトやオトノマチは続けられない自分がいた。
脱原発とかの動きをすると「3.11」ブームみたいな言われ方をするけど、
ここから始まってもいいんじゃないかな。
どこをスタートラインにするかなんて人それぞれだし。
だけど、スタートするきっかけって必要だと思う。
じゃなきゃ、自分は始まらない。
世界はすぐには動かない。
22か23歳位まで毎日死にたいと思ってたし、
長生きなんてしないと思ってた。
(長生きは今でもしないと思ってるけど。)
今でも自分のやってる事なんて
なんの役にもたたないし、
意味なんてないと思う。
けど、そんな事言ってたら
生きている意味もなくなるし。
だったらいつ死んでもいいだろう。
そう思うとやりたいことは全部やりたい。
ちょっと前までは、子供が出来たら
イベント出来なくなるしって思ってた。
けど、旦那さんは子供が出来ても続けていいよ。
って言ってるし。
オニと慎亮くんとことか見てると、
大変だけど、やめる理由にはならないって思う。
続けるってのは始めることよりも大変だと思う。
話それたけど、今回福島行って福島の何万人?何十万人??
中の数人に会って、話を聞いてきた。
ずっと聞きたかったこととかも、思いっきり聞いた。
初対面なのにみんな快く話してくれた。
ドミューンの森さんを中心にドナチカさん、かんたろうさん、
ドーナッツさんと密に話をしたんだけど、
色んな現状や心境を聞いて思ったのは、
自分に出来る事は何もないってこと。
これは諦めていってるんじゃなくて事実の話。
うちもそうだったし、多くの人がそうだと思うけど、
「自分には何も出来ないけど、何かしたい。」
「被災者や被災地の為に自分に出来ることはなんだろう」
って思ってると思う。
勿論、震災直後はボランティアという形で出来ることは
いっぱいあるし、行動出来る人はマジで凄いと思う。
なんていうたらええかな。
ぴかちゅうとかもそうやけど、
今TAIYO33OSAKAってのをやり始めてるけど、
(詳しくはここへ http://taiyo33osaka.net/ )
ぴかちゅうもきっともんもんしたんが自分の中にあって、
それはきっと頭とか心が感じてるんじゃなくて、
たましいが動いてるんだと思う。
(まさしくテニスコーツの歌い上げるたましいだね。)
「脱原発」ってイメージがどうしても強くなるけど、
ホントは「エネルギーをみんなで考えよう」ってこと。
原発がいいか悪いかなんて、考えなくても分かることだし。
実際何十年も前から「脱原発」の活動をしてる人達はいるんだし。
3.11デビューのにわか者たちが集まってわいわいやって
原発なくなってる位だったらとっくの昔に無くなってるっちゅう話。
(他のみんなは分からないけど)
頭にではなくて。DNAにすりこんでいかないかんと思う。
長い長い年月をかけて。
子供や孫に。生れた時からそういう環境。
今の若者にではなくて、自分が年老いた時に
若者になっているであろう世代を意識して。
だから個人的には長く長くやらな意味ないと思うけど。
起爆剤さえ爆発したら、そのあとの科学反応は続くと思う。
60年前日本で「戦争反対」と言ったら「非国民」で。
戦争に負けて、敗戦国としての教育をされ。
「戦争は怖い、いけない」とDNAにすりこまれて育ってきた。
実際、「戦争はいけない」と思う。
これが自分のたましいが感じてるのか、
DNAが感じてるのかは分からないけど。
それでも戦争はなくならない。
それは国益の為。(ま~。アメリカの国益だけど。)
原発も国益の為。「原発反対」っと唱えれば
「非国民」なのだろうか。
それでも60年すりこんでいけば
「原発は怖い、いけない」となるんじゃないかと思う。
ま。第三者(他国)からの圧力がない前提の話だけど。
「福井」にも行ってきた。
もんじゅ見学して、「高速増殖炉」の素晴らしさを勉強した。
全てが本当の話なら「原発はとても素晴らしい」ものになる。
けれど、各国の「高速増殖炉」は全て停止していたし、
大丈夫と言われていて実際は福島が問題になり、
もんじゅを囲む高さ5メートルの堤防にはバンバン
日本海の荒波が届いていた。
それでも説明をしてくれたおじさんはとても親切丁寧だったし、
福井の友達は原発の恩恵で飯をくっている。
生れたときからそれが「正しい」ものなのだ。
それを感じた時、戦時中の「正しい」感じも
こんなんだったのかなと思った。
福島も福井もめっちゃ綺麗なところで、
特に福島のおじいちゃんおばあちゃんは
胸キュンになるくらい可愛くて。
津波の被害を受けた老人ホームを見た時は
絶句だった。何も考えられんかった。
やっとTVで見ていた「情報」が「本物」になった。
今回全てが本物になって自分が出した結果は、
たましいから発動した「やりたい」と
思ったことをやればいいと思った。
自分のやりたいことが自分のできることだと思う。
やりたくても出来ないのは今の話。
音楽に没頭したいならCD作って
ライブをやりまくればいい。
映画を撮りたいなら撮って。
絵を描きたいなら描いて。
自分の好きなこと、やりたいことだけ
やればいいと思う。
それがいつかまわりまわって、
誰かのたましいを救うかもしれない。
色んな科学反応が起こればいい。
それが反応して反応して、
ゆっくりと世界は変わっていくと思う。
やりたい事がみつからないなら
自分が楽しいことだけやればいいと思う。
辛い事や苦しいことなんて
頼んでもないのに向こうから勝手にやってくる。
だから、少しでも自分が楽しいと思うことをやる。
そして、人間ってのは慣れの生き物だから、
もっともっとってなる。
楽しい事をもっともっとって突き詰めてったら、
きっとやりたいことに繋がると思う。
個人的な意見だけど、好き勝手出来るのは30歳までだな。
30歳過ぎたら嫌でも色々考える。
それでもやりたい事をやり続ける方法を考える。
けど、40歳過ぎたら身体がいうこと聞いてくれなくなるし、
死ぬ確立は高くなってくばかり。
60歳以降は頑張った人のみのご褒美人生だと思ってる。
そう思うと自分はもう折り返したので、
もっともっと頑張って、ご褒美人生を手に入れたい。
震災の度に思うけれど、生きたかった人達の為にも
生きているうちらが生きぬかにゃいけないと思う。
「死にたい」と思っても死なないのは生きたい証拠。
「消えたい」と思うのはたましいが眠ってるからかな。
たましいが目覚めると、大変だけど生きてやろうと思える。
だから、「消えたい」と思ってる人は
たましいが目覚めてる人に会いにいけばいいと思う。
ぴかちゅうなんてたましい全開だよ。
正直あの人たましい削って33やってると思う。
TAIYO33OSAKA終わったら死んじゃうんじゃないかと思う。
嫌だ。ぴかちゅう死んだら絶対いやだ。
旦那さんとぴかちゅううちの中で一緒のとこやから。
うちの両手は旦那さんとぴかちゅうに繋がる。
そうやって2人づつ大切な人が繋がって繋がって、
みんながつながりますように。
12月からは毎日ブログ書こうと思ってはや、
一週間経ってしまった。
なんかホント時間って足りないっすよね。
マジでマメにブログ更新しとる人尊敬。
今日はいっぱい書くから長くなるよ。
(殆ど自分に向けて書いてる)
最近は行きたいライブも行けず。
TAIYO33OSAKAに想いをはせています。
いろいろあった一年って
今年のこと言うんやな~って。
つくづく思ってしまいました。
3.11
この日から少なからず、
多くの人達のなかの
何かが揺さぶられたと思うし
何かが壊れたとも思う。
そして自分も。
報告めっちゃ遅くなりましたが。
9月末にOTO no MARCH(オトノマチ)
でのFOODの売上5822円と、
5/4のうずうずでの募金&龍宮ナイトの
物販の売り上げ6516円。
あと、なんやかんやで?
(なんか分からんけどwww)
全額27563円をJF全漁連の
がんばれ漁業募金に寄付しました。
みなさまのご協力ホントにホントに
ありがとうございました!!!
ご報告が大変遅くなってしまった事を
この場を借りてお詫び申し上げます。
なんだかんだで100年に一度レベルの地震が10年おき位に
発生しているのでなんだかな~と思っていたけど、
今回の東北の地震はやっぱり、「原発」ってとこが
大いに違うから、ただただいつもみたいに
「復興」すれば全てが終わるというわけにはいかない。
もともと日本は地震大国で大昔から大きな地震が
起こっているから、地震ですべてのものが無くなっても、
絶望せずまた立ちあがる力がDNAに組み込まれているらしい。
ホントかどうかは分からんけど、
確かに今回福島へ行ってみて
思っていたよりも福島の人達がとても元気で明るかった。
もしかしたらカラ元気なんかもしれんけど、
それでも「がんばらないかんけん」って感じを
感じ取ったよ。
オトノマチとかやったけど、正直被災地にも行かず
こんなことしてってもんもんしてて。
けど、一人でボランティア行くとか怖くてできんかった。
ずっともんもんしてたなかでのTAIYO33OSAKAでの福島行き。
(TAIYO33OSAKAの説明はまた後で)
正直行くの怖かったしめずらしく旦那さんにも反対された。
イベントをやるたびに、旦那さんに迷惑かけてきたけど、
絶対反対しなかった旦那さんだったので、
よっぽどなんだなと。
何回も家族会議。
旦那さんは昔から子供が欲しい派。
うちは結婚も子供も興味がなかった派。
けど、長い間共に生きてきて
色々あって結婚して。
今思う事は結婚はマジで楽しいってこと。
それはきっと相手が昇さんだからそう思えるんだろうけど。
出会って11年、結婚して丸5年か。
嘘のように旦那さんと過ごす毎日は楽しくてしょうがない。
きっとおじいちゃん、おばあちゃんになるまで
この楽しい日々が続くだろうと。
続いて欲しいと願っている。
そして未来を少しだけ想像した時、
9歳年上の旦那さんが死んだ時、
ひとりぽっちは嫌だなって思った。
あと、旦那さんの喜ぶ顔が見たいってのと。
自分も子供産める身体の限界に近付いてきたのと。
敬愛するECDが妻子もちだってのと。
色んな不純な動機で子供が欲しいと最近は常々思っている。
だからこそ、少しでも危険な場所には行きたくないし、
旦那さんが行かせたくないのも分かる。
それでも、自分で経験せずに対岸の火事みたいに思っているのは嫌だし、
このままの気持ちじゃ龍宮ナイトやオトノマチは続けられない自分がいた。
脱原発とかの動きをすると「3.11」ブームみたいな言われ方をするけど、
ここから始まってもいいんじゃないかな。
どこをスタートラインにするかなんて人それぞれだし。
だけど、スタートするきっかけって必要だと思う。
じゃなきゃ、自分は始まらない。
世界はすぐには動かない。
22か23歳位まで毎日死にたいと思ってたし、
長生きなんてしないと思ってた。
(長生きは今でもしないと思ってるけど。)
今でも自分のやってる事なんて
なんの役にもたたないし、
意味なんてないと思う。
けど、そんな事言ってたら
生きている意味もなくなるし。
だったらいつ死んでもいいだろう。
そう思うとやりたいことは全部やりたい。
ちょっと前までは、子供が出来たら
イベント出来なくなるしって思ってた。
けど、旦那さんは子供が出来ても続けていいよ。
って言ってるし。
オニと慎亮くんとことか見てると、
大変だけど、やめる理由にはならないって思う。
続けるってのは始めることよりも大変だと思う。
話それたけど、今回福島行って福島の何万人?何十万人??
中の数人に会って、話を聞いてきた。
ずっと聞きたかったこととかも、思いっきり聞いた。
初対面なのにみんな快く話してくれた。
ドミューンの森さんを中心にドナチカさん、かんたろうさん、
ドーナッツさんと密に話をしたんだけど、
色んな現状や心境を聞いて思ったのは、
自分に出来る事は何もないってこと。
これは諦めていってるんじゃなくて事実の話。
うちもそうだったし、多くの人がそうだと思うけど、
「自分には何も出来ないけど、何かしたい。」
「被災者や被災地の為に自分に出来ることはなんだろう」
って思ってると思う。
勿論、震災直後はボランティアという形で出来ることは
いっぱいあるし、行動出来る人はマジで凄いと思う。
なんていうたらええかな。
ぴかちゅうとかもそうやけど、
今TAIYO33OSAKAってのをやり始めてるけど、
(詳しくはここへ http://taiyo33osaka.net/ )
ぴかちゅうもきっともんもんしたんが自分の中にあって、
それはきっと頭とか心が感じてるんじゃなくて、
たましいが動いてるんだと思う。
(まさしくテニスコーツの歌い上げるたましいだね。)
「脱原発」ってイメージがどうしても強くなるけど、
ホントは「エネルギーをみんなで考えよう」ってこと。
原発がいいか悪いかなんて、考えなくても分かることだし。
実際何十年も前から「脱原発」の活動をしてる人達はいるんだし。
3.11デビューのにわか者たちが集まってわいわいやって
原発なくなってる位だったらとっくの昔に無くなってるっちゅう話。
(他のみんなは分からないけど)
頭にではなくて。DNAにすりこんでいかないかんと思う。
長い長い年月をかけて。
子供や孫に。生れた時からそういう環境。
今の若者にではなくて、自分が年老いた時に
若者になっているであろう世代を意識して。
だから個人的には長く長くやらな意味ないと思うけど。
起爆剤さえ爆発したら、そのあとの科学反応は続くと思う。
60年前日本で「戦争反対」と言ったら「非国民」で。
戦争に負けて、敗戦国としての教育をされ。
「戦争は怖い、いけない」とDNAにすりこまれて育ってきた。
実際、「戦争はいけない」と思う。
これが自分のたましいが感じてるのか、
DNAが感じてるのかは分からないけど。
それでも戦争はなくならない。
それは国益の為。(ま~。アメリカの国益だけど。)
原発も国益の為。「原発反対」っと唱えれば
「非国民」なのだろうか。
それでも60年すりこんでいけば
「原発は怖い、いけない」となるんじゃないかと思う。
ま。第三者(他国)からの圧力がない前提の話だけど。
「福井」にも行ってきた。
もんじゅ見学して、「高速増殖炉」の素晴らしさを勉強した。
全てが本当の話なら「原発はとても素晴らしい」ものになる。
けれど、各国の「高速増殖炉」は全て停止していたし、
大丈夫と言われていて実際は福島が問題になり、
もんじゅを囲む高さ5メートルの堤防にはバンバン
日本海の荒波が届いていた。
それでも説明をしてくれたおじさんはとても親切丁寧だったし、
福井の友達は原発の恩恵で飯をくっている。
生れたときからそれが「正しい」ものなのだ。
それを感じた時、戦時中の「正しい」感じも
こんなんだったのかなと思った。
福島も福井もめっちゃ綺麗なところで、
特に福島のおじいちゃんおばあちゃんは
胸キュンになるくらい可愛くて。
津波の被害を受けた老人ホームを見た時は
絶句だった。何も考えられんかった。
やっとTVで見ていた「情報」が「本物」になった。
今回全てが本物になって自分が出した結果は、
たましいから発動した「やりたい」と
思ったことをやればいいと思った。
自分のやりたいことが自分のできることだと思う。
やりたくても出来ないのは今の話。
音楽に没頭したいならCD作って
ライブをやりまくればいい。
映画を撮りたいなら撮って。
絵を描きたいなら描いて。
自分の好きなこと、やりたいことだけ
やればいいと思う。
それがいつかまわりまわって、
誰かのたましいを救うかもしれない。
色んな科学反応が起こればいい。
それが反応して反応して、
ゆっくりと世界は変わっていくと思う。
やりたい事がみつからないなら
自分が楽しいことだけやればいいと思う。
辛い事や苦しいことなんて
頼んでもないのに向こうから勝手にやってくる。
だから、少しでも自分が楽しいと思うことをやる。
そして、人間ってのは慣れの生き物だから、
もっともっとってなる。
楽しい事をもっともっとって突き詰めてったら、
きっとやりたいことに繋がると思う。
個人的な意見だけど、好き勝手出来るのは30歳までだな。
30歳過ぎたら嫌でも色々考える。
それでもやりたい事をやり続ける方法を考える。
けど、40歳過ぎたら身体がいうこと聞いてくれなくなるし、
死ぬ確立は高くなってくばかり。
60歳以降は頑張った人のみのご褒美人生だと思ってる。
そう思うと自分はもう折り返したので、
もっともっと頑張って、ご褒美人生を手に入れたい。
震災の度に思うけれど、生きたかった人達の為にも
生きているうちらが生きぬかにゃいけないと思う。
「死にたい」と思っても死なないのは生きたい証拠。
「消えたい」と思うのはたましいが眠ってるからかな。
たましいが目覚めると、大変だけど生きてやろうと思える。
だから、「消えたい」と思ってる人は
たましいが目覚めてる人に会いにいけばいいと思う。
ぴかちゅうなんてたましい全開だよ。
正直あの人たましい削って33やってると思う。
TAIYO33OSAKA終わったら死んじゃうんじゃないかと思う。
嫌だ。ぴかちゅう死んだら絶対いやだ。
旦那さんとぴかちゅううちの中で一緒のとこやから。
うちの両手は旦那さんとぴかちゅうに繋がる。
そうやって2人づつ大切な人が繋がって繋がって、
みんながつながりますように。
by wakamepsh
| 2011-12-09 04:28
| OTO no MARCH